tozen想//ツレヅレなるままに、その日暮し。

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アジアンカンフージェネレーションの魅力について本気出して考えてみた。

ものすごく巧いわけではない。ものすごく格好が良いわけではない。
しかし、心に届く、その歌声は。


アジカンことアジアンカンフージェネレーション。
その名前の奇抜さゆえに、目を止めた方は多いであろう。
かといって、ギターのリフに中国っぽい音が入るわけでもない。


勿論、彼らの楽曲は完成度が高く、
ヴォーカルの後藤氏の声は聴いた者の耳にその音を刻み付ける。
しかし、それだけではないのだ。


彼らの歌は、人々の心の中の少年に語りかける。
その少年はけして活動的ではなく、「体操座りをした少年」である。
純粋さ故に外界に心を閉ざしたまま動かない。
彼らはけして堅苦しく、難しい言葉で語り掛けない。


「隣にいる冴えない君もいつかは誰かを救う明日の羽になるかな」(君の街まで)


そう、少年はけして悲劇のヒーローでもなく、美少年でもない普通の少年。
少年が彼らの声に耳を傾けたとき、
彼らは手を差し伸べる。それは、偽善でも、ましてや打算でもない。


「僕らを満たすより 君へと届くように」(青の歌)


その手を掴めと命令しない、ただ、その手を掴んで欲しいから、
彼らは歌を紡ぎ続ける。


「塞いで泣いた日々も それアンダースタンド
歪んだ日の君を捨てないでよ」(アンダースタンド)


上澄みの理想のみの嘘っぽい人格より彼らは、
穢れや、歪みすら受け入れる。


誰もが心の中に住まわせている少年は彼らの声に反応する。
それは、ぼんやりとした光。


そこを目指し少年達は再生ボタンを押す。

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バンプオブチキンの魅力。

今日はバンプに魅力についてひとつ。


まず、「声質」。
Voの藤原氏の声と言うのはちょっと聴くとこもり気味に聞こえますが、
実は非常に伸びやかで突き抜けるもの。
この相反する要素が組み合わさってこそ、その声に深みを与えるのです。
敢えて表現するのであれば、
「クラシカルにロックを唄う」これではないかと。


それから、「趣」。
彼らはシークレットトラックを必ずシングルやアルバムに散りばめます。
それはいつも同じではなく、時にはひょうきんに、時には真面目に。
これはまさに「粋」でないとできないこと。

いつでも遊び心を忘れないあたりは流石です。


そして、最後に挙げるのはその詞。
バンプの詞は非常に視覚的です。
例えば、「オンリー ロンリー グローリー」では、
「放射状に伸びる足跡 自分だけが歩き出せずにいる」、
そして、
「一人分の幅の道で 涙目が捕まえた合図」
等、視覚的ではあるけれども、説明的ではない歌詞が非常に印象的です。
ここで、聴くものは自由にその情景を頭に思い浮かべることができます。
そこでバンプの世界観は聴くものの数だけの広がりを見せるのです。

やっぱり、これだけ視覚的に表現できるのは藤原氏がヲタクだからでしょうか?
アルエとか「綾波レイ」だもんな・・・。


どうでしょう。筆の力が足りず申し訳ありません。
でも、少しでも皆がバンプに興味を持って頂けたら。
そう思い筆を取らせていただきました。

嗚呼、バンプがいる日本に生まれてよかった。


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「椎名林檎」そして「東京事変」

ブログ開設に浮かれて大好きな椎名林檎について一つ。

平坦な道ではなかったかもしれない。
それでも、自分を失わず、彼女はここまで来た。
そのことについて誰もが書いているかもしれない。
けれど、あえて今、
椎名林檎とそして東京事変について書こうと思う。


「幸福論」でデビューした椎名林檎。
彼女のイメージは、「こまっしゃくれた女の子」だったという。
「私は君のメロディやその哲学や言葉全てを
 守るためなら少しぐらいする苦労も厭わないんです。」
こうした彼女の主張を、犠牲的精神というよりは、
尊大だとレコード会社の人間は受け取ったらしい。

その後、「ここでキスして」のカップリングである、
「眩暈」にて認めてくれない人たちに対して、
メッセージを送っている。この時は無視されたようだが。


それから、「ここでキスして」によるスマッシュヒット。
その後リリースされた「本能」。
ここで、「椎名林檎」が一般に認知されることとなる。


本人が望まない形で。


彼女の認識の中では、看護婦というスタイルも、
病院という空間も、「様式美」のひとつであった。
しかし、世間は、その表層しか見ない。
つまり、「コスプレ」をする「ポップイコン」として彼女を結論付けた。


ここから彼女の苦悩が始まる。


世間の評価と乖離した「椎名林檎」を持て余した彼女は、
次第に心と体のバランスを崩し、一時病床に伏す。
しかし、この体験を経た彼女は凄みを増したのだ。


心と体の危険なバランスの上でしか成り立たない、
彼女の世界観が発露した「勝訴ストリップ」が記録的セールス。
この中での「罪と罰」や「ギプス」は以前より書いていた曲らしいが、
この時期に出るべくして出たというように、
非常にギリギリの感性の中で歌われているという印象を受ける。


その後、彼女はゆっくりと自分を取り戻す作業を始める。


ライブにて、聞き手との距離感を確認し、
「唄い手」としての自分を再確認したのである。
そして、自分のルーツを確かめるかのように、
カヴァーアルバム「唄ひ手冥利」をリリースする。
ここで、彼女は色々な人と関わることにより、
逆に自分の立ち位置を安定させたのだ。


その後、「加爾基 精液 栗ノ花」をリリース。
非常にエゴイスティックな作りとも評されかねないほど、
作りこまれ、シンメトリックな作品となった。
ここで、彼女は自分が何者かを意識したのではないか、と思う。
その証拠に、この後にリリースした「りんごのうた」で、
乖離した「自分」と「椎名林檎」が統合したような、
暗示がなされているのである。


そして今、彼女は「東京事変」というプロジェクトの中にいる。
周りを固めるのは超一流の楽隊。
このことで、前面に押し出されなくてはならなかった、
いや、常に前面に押し出されることでしか、
存在意義を感じることができなかった「椎名林檎」は、
終わりを告げたのである。


それは、「ポップ・イコン」としての「椎名林檎」の死であり、
一人の、「アーティスト」の「椎名林檎」の誕生を意味していたのだ。
誰か頼るべき者、守るべきものができた時、人は成長する。
まさしく「東京事変」のなかの彼女はそれである。


表現する場は変わった。しかし、彼女は変わらず、
今も「現在(いま)」を唄い続けていく。
一人の「アーティスト」の「椎名林檎」として。

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